サンフラワーの施設長の備忘録とつぶやきです。偶に毒を吐きますが毒性は弱めです。
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うぃずライン第6号が発行されました。 PR
介護・福祉の分野においても多くの組織が存在します。
先日参加した長崎県地域包括・在宅介護支援センター協議会もその一つです。 平成18年の介護保険法改正に伴って創設された地域包括支援センターですが、県内の状況は、行政直営が大半を占めることとなりました。 これは、国が描いていた餅になったわけですが、ここに「横の連携」に関する問題が発生したと感じています。(運協もあるわけなので、地域内でも連携できるわけですが........) 平成18年度以前は、中学校区に一か所在宅介護支援センターが設置され、各市町村内でも横の連携強化を図り、そして県組織・全国組織とそれなりに地域・県・国等での組織のあり方が成り立っていた状況にあったのです(あっ、この書き方は、全国的に各在介センターや組織がうまく機能していたと捉えられる書き方になっていますが、あくまでも私の周辺の状況を元に記載していますのでご了承下さい)。 一方、行政運営主体が中心になると、地域内の組織は行政内の会議となり、他の地域との関わりも薄くなり、唯一県が主催する研修会で少ない情報交換をするという状況で、現場のガス抜きにもならないという声も聞こえてきます。 ケアマネの組織も同様であると思うのですが、自分たちが働く地域での組織化が市町村レベル県レベル全国レベルの組織化に繋がっていくことが理想と感じるのですが、地域と市町村・市町村と県・県と国のように互いの組織が何らかの連携がなされなければ、同じ様な名称を使い組織化していっても、必要ない誤解を招くだけでなく、変な柵だけを創り出す産物と評価されてしまう可能性もあるのではないかと感じています。 この時期にそう感じるのは遅いことは重々承知ですが、何かの行動を取らなければ、足元をすくわれそうで不安です。 今一度、組織という体系のあり方を考えてみようと思います。 あっ、あと一期「副会長」をすることになりました......
H19年度長崎県地域包括・在宅介護支援センター協議会第2回理事会
平成20年2月21日(木)13:30~16:00 長崎県総合福祉センター4F ①役員改選について ②平成19年度会計収支補正予算案について ③平成20年度事業計画案について ④平成20年度会計収支予算案について ⑤総会について
本日午前、身寄りがいらっしゃらない在宅の利用者を、当施設にてお見送りをしました。
土曜日に当方の通所介護利用中に体調を崩し救急搬送され入院。翌日の夕方に様態悪化となった時点で、病院側は当方と話がしたい旨の連絡が入る。数分後、心停止したと再度連絡があり、急いで病院へ駆けつけました。 病院側が当方と話をしたいと連絡が入ったことにとても疑問を感じていたのですが、病院に到着するなり、延命治療をするかしないかと問われたことに驚きを隠せませんでした。 ※こうなるまでに長い年月いろんなやり取りが地域・行政を交え(今回入院した病院は地域外)あったわけで、キーとなるのが当施設だったわけですが、そこまでの判断を求められるとは、驚きでした。 医療上の見地から、この方に対し最善の対応を取って頂きたいとだけしか言えませんと答えると、こちらにも責任問題があるので答えてほしいと返答された時は、大きく息をのんで自分を押さえるしかありません。(当施設の利用者が入院する際、ここをよく利用していたので、対応した看護師は、この方をうちの入居者と思っていたのかもしれませんが、それでもこの返答は頂けません) その後いろいろとやり取りがあり、市との連絡を取って以後の流れを確認し、調整は私に一任して貰って対応をしました。 諸事情で、家にも帰れず、加えて身寄りがない状況では、葬祭執行は行政となり、流れとしては死亡確認後そのまま火葬場の安置所で一夜を過ごすことになる。この方にとって辛いことであり、どうにかならないかと考えました。 お寺さんの確認を民生委員さんにしたら、幸いに当法人の理事長が住職をする寺でした。 理事長と連絡を取ると、理事長からこれも何かの縁、施設でお見送りができないかと問われたので、施設長と相談をし承諾を得、当施設にお連れし、そして今日お見送りをしたわけです。 身寄りがない方の逝去に関しては、それなりの(先にも書きました)事務フローがあるわけですが、単にお金を掛けず速やかにという意図が読めてしまうため、地域で見守る・見送るという昔ながらの慣習が今更ながら大切だなと強く感じた数日でした。 枕経をあげてもらった日、理事長が「村八分と言う言葉がありますが、総すかんをしながらも残りの二分の火事と葬式の時は地域で助け合うといいます。今はそういう習慣もなくなったのでしょうかね」と話されたことが蘇ります。 今回の出来事は、当地に於いて他人事と捉えることができない出来事だったように思います。 なくなられた○○さんのご冥福をお祈り致します。 合掌
先日、厚生労働大臣から社会保障審議会へ諮問書が出されました。
<WAMNET> 社会保障審議会福祉部会(平成19年7月26日開催) 「社会福祉事業に従事する者の確保を図るための措置に関する基本的指針(案)」では、いろんな角度からの提言がなされているのですが、果たしてそれが現場に即したモノなのか不安を抱いてしまいます。 当方もご多分に漏れず、人手不足に頭を抱えています。(誤解がないように書きますが、配置基準は充分に満たしています。) 募集を掛けても人が集まらないというのは、かなりやばい状況だと思います。 離職者が増えるというのも何らかの原因がそこにあるわけで、それを一つ一つ解決していくことが必要不可欠というのは分かりきったことで、当方も理解はしています。 理由1.給与が安い →然り。しかしながら今の事業所収入では今がめい一杯。それ以上望まれたらご免なさいというしかない。 →有資格者と無資格者が給与だけ違って、仕事内容に差がないのは問題だから、今後改善してゆきます。しかしながら現場経験の3年間は、国家資格等一発合格のためにいろんなノウハウを・・・・・いや、これは単なるいいわけに過ぎません(反省 理由2.きつい →然り。人が相手の仕事だから、精神的にもきつくなります。 個別的対応を目指せば目指すほど、個人のニーズが引き出されてゆき、きつくなることが多いです。 入浴介助や排泄介助など個別的対応の中には、体力勝負的なモノが多くありきついです。 もっと手厚い人員配置をと考えるのですが、限度があります。今の状況では財源的にもきつい。かといって、十把一絡げなサービスはしたくないし、認知症の周辺症状が大変だから(こういう言い訳で断られた利用者が、当方の利用へと繋がるケースが結構ある)などという理由で、介護の手の掛かる利用者を減らしていく事は到底できません。理想と現実なんだと現場から厳しい意見が出るかもしれないけど、そうではないのです。 理由3.利用者と一緒に食事を取りたくない 理由4.紙おむつでないとできない →もうしわけありません。当施設の方針を変えるわけにはいきません。 理由1.2.3.4その他沢山の理由があって退職される方々。しかしながらこれらが退職理由の大半を占めるかというとそうではなく、一番多いのは「人間関係」。 非常に重い申し出で、どこをどう改善していけばよいのか分からなくなることが多くあります。 退職するAさんの良いところ悪いところ、関係が悪くなったBさんの良いところ悪いところを考えると、どちらの肩を持って良いものか、タイムリーな関係修復が望ましいけれど、こういう問題は以外と潜在がしています。 方や良し悪しが一方的であれば、即刻対応できますが、そういう場合ってのが当然少ないわけで・・・・・・・・いやはや頭が痛い。 国は、人材確保の件を簡単に考えてはいないと思うのですが、人の生活を支援するということの重要性を充分に理解し、現場に即した指針を出してほしいと思うと同時に、我々福祉・介護分野で働く者は、しっかりとした成果を現場で出す努力と、現状の問題・課題を外に向けて発信しなければならないと思います。地域との関わり、保険者との関わり、県との関わり、いろんな所で接点があることを忘れてはいけない。 そして内側の部分では、ことの大小はあるでしょうが、各々の施設・事業所が問題・課題を抱えている現実の中、経営者も従事者もそれを取り巻く者すべてで努力し改善していった・いっている施設・事業所があるのも現実。 頑張らなきゃなあと自己嫌悪に陥っている中、白澤政和氏のケアマネジメントとはという言葉を思い出しました。 「ケアマネジメントとは、点と点をつなぎ線にし、線と線を結んで面にすること」たしかこのように話されていた記憶が蘇り(間違っていたらどなたかごしてきください) 、システム作りも組織作りも人間関係も、要はマネジメント力なのかと思い、日々研鑽・日々勉強ということに辿り着きました。 ただ、拭えない不安・・・・それは・・・・・今回の指針の(案)が消え、正式のモノになった場合、あとは各都道府県の手腕次第ってことになるのかなあってこと............。 |