何でこんな書きにくいタイトルを選んだんだろうと反省しつつ、自分の苦手な文章を書くトレーニングだと言い聞かせ.............
さて本題。
当施設の短時間労働の清掃員として採用していた人が先日入院した。知的障がいと精神疾患が有り、就労支援を受けながら今年の初めから働いていた。
生活の場が変わり、最初は不安だらけだったようが、徐々に仕事も覚え生活も心身も安定してきたところだったと思う。
その安定があるが故に、集中出来るものが減り気が余所に向いている。この辺は、周りの(同じ施設で働く他職種の)職員達も感じており、かつ生活を支援していた側も気づいていた。
たばこが吸いたいとかという表出した欲求を受け入れるようにも準備をしていたようだ(嗜好品に対する対応の是非は今回はふれないこととする)。
にもかかわらず、実現間近にキレてしまったのだ。
今回の出来事の発端は、それ(たばこ)が原因だったのかもしれないと感じていると担当者の一人は言っていた。
一日のうち仕事は6時間しかなくそれ以外の時間は家で過ごしているわけだ。睡眠時間を7時間と考えても11時間は起きていろんな生活行為を行っている。
そのようなパターンで生活する中で、結果として昨日精神症状が極度の不安定となり入院となった。
精神状態の不安定の原因を、「集中出来るものが減り気が余所に向いてしまう」事によるフラストレーションと結論づけている部分があるようだが、果たしてそうなのか。
気持ちに仕事にも余裕が出来たので、以前吸ってたタバコを吸いたいと思う事もあっただろう。
ただ、それが実現出来ない事が、そんな切っ掛けになるのだろうか。なる場合もあるだろうが、今回の件に関しては、仕事をする6時間・家で過ごす11時間の中で何か原因がなかったのか、支援する中で問題はなかったのかと問うことが必要だろう。
入院という事は、その時の状態(本人の辛さ苦しさ悲しさや怒りを抑えられない処理出来ない)からは適切な判断だったと思う。が、福祉業界で専門職として働くものとしては、その結果だけで良しとしていけない。
プロセスがあるから結果がある。であればプロセスを評価し、そして結果を評価する。こういう思考が働かないとすれば、それは非常に残念なことだ。
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